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飛騨高山の観光

飛騨高山の見所、観光名所を季節の話題をご案内します。
旧高山市中心部は飛騨の小京都といわれ、江戸時代以来の城下町・商家町の姿が保全されており、その景観から「飛騨の小京都」と呼ばれています。

観光ガイドでは飛騨高山と記され、全国各地から毎年非常に多くの人が観光に訪れます。また、最近は、「日本の原風景を残す街」として紹介され、日本国外からの観光客も増加しています。仏ミシュランの実用旅行ガイド「ボワイヤジェ・プラティック・ジャポン」では必見の観光地として三ツ星を獲得しています。

日本列島のほぼ中央にあり、高山盆地は内陸性盆地型気候で昼夜、夏冬の気候温度差が大きく、湿度が低いです。高山からは東に乗鞍岳、焼岳、穂高岳、槍ヶ岳、黒部五郎岳、笠ヶ岳、南東に御岳(おんたけ)、北西に白山(はくさん)を見ることが出来ます。

飛騨高山の見所

飛騨高山の見所

飛騨高山は、東部に飛騨アルプス。西に白山連邦にはさまれた小さな盆地の山岳都市です。
気候は内陸性で、降水量は多くなく気温は。夏涼しくて。冬は寒さが厳しく、-5度を下回ることはめずらしくありません。 旧荘川村は特別豪雪地帯ですが、それ以外の地域は積雪は比較的に少ないです。 東部に飛騨アルプス、西に白山連邦にはさまれた小さな盆地の山岳都市です。

では、高山の観光地を紹介しましょう。一番は古い町並み、次は、朝市(年中無休)、3番目は高山祭り(春と秋の祭礼の日又は、祭り会館でみる)、見落としては成らないのが高山陣屋、続いて古い民家や民芸館、市制記念館などの建物もたくさん在ります。もう一つ、お寺も見所も数多く、見落とせません。まだまだ他にも、見所はたくさん在りますが、郊外の方にも足を伸ばしてみてください。日本アルプスや奥飛騨温泉郷・野麦峠など盛り沢山の観光名所があります。

古い町並

古い町並み

飛騨高山は、北東部に飛騨山脈(北アルプス)を擁し、槍ヶ岳や穂高岳などの有名な山々が望めます。城下の商人町として発達した上町、下町の一・二・三之町、(しもいちのまち、しもにのまち、しもさんのまち) の町並みを合わせて「古い町並」と言います。出格子の連なる軒下には用水が流れ、造り酒屋には杉の葉を玉にした「酒ばやし」 が下がり町家の大戸や、老舗ののれんが連なっています。

見所はくぐり戸を入り大きな土間から見上げる、吹きぬけの木組み大きな梁に、素朴ながらも繊細な造りは、飛騨の巧みの技が伺えます。奥には大きな蔵が並び、重厚な風景を見ることができます。また数多くの大きな、屋敷があることでもおどろかされます。

高山陣屋

高山陣屋

陣屋は、江戸時代に郡代や代官が治政を行った場所です。
高山陣屋には、御役所、役宅、御蔵など当時の建物が残っているのはこのだけです。全国で唯一建物が現存する遺構で、昭和4年には国史跡に指定されました。

高山陣屋は、高山城主金森家の下屋敷(向屋敷)として使われていましたが、直轄領となってからは陣屋として代官所・郡役所として使われました。
76年間、江戸幕府は25代の代官、郡代を派遣して飛騨を治めました。明治以後、陣屋の建物は高山県庁舎、その後は飛騨県事務所として使用され昭和44年より、岐阜県教育委員会は、高山陣屋の保存、復元を進め、今は、江戸時代の高山陣屋の姿がほぼ再現されて、見ることが出来るようになりました。

奥飛騨温泉郷

奥飛騨温泉郷は、標高3,000m級の北アルプスの麓にある五つの温泉地の総称で町の名前にもなっています。
【 平湯・福地・新平湯・栃尾・新穂高 】
北アルプスの山々に囲まれた 自然豊かな温泉郷 温泉・山岳景観、新緑や紅葉、スキーと四季を通じて楽しむことが出来・安房トンネルを抜ければ上高地もすぐそこです。

奥飛騨温泉郷

  • 平湯温泉
    平湯温泉は、昔は交通の不便な所で、秘湯と言われていたが、 安房トンネルの開通により松本方面への交通アクセスが大幅に向上し、また上高地及び乗鞍の二大観光地のマイカー規制により、平湯温泉がシャトルバスに乗り換え観光ルートの基地となりました。湯量も豊富で宿も多くあります。
  • 福地温泉
    国道471号から奥に入った場所に広がる温泉街です。落ち着いた雰囲気が温泉街には奥飛騨クマ牧場などもあり、日本百名湯にも選ばれています。
  • 新平湯温泉
    ホテルや旅館、民宿が数多く、温泉郷内では平湯温泉に次ぐ規模を誇ります。 国道471号沿い、蒲田川と平湯川の合流地点付近に広がる温泉街です。

奥飛騨温泉郷

  • 栃尾温泉
    栃尾温泉から蒲田川沿いに上流へ上がっていく途中に広がる温泉街です。温泉の最奥部には、 途中には寸志で入浴可能な巨大露天風呂「新穂高の湯」があり 豊富な湯量を活かして、各旅館も巨大な露天風呂を有しているところが多くあります。
  • 新穂高温泉
    栃尾温泉から蒲田川沿いに上流へ上がっていく途中に広がる温泉街です。温泉の最奥部には、新穂高ロープウェイの駅があり、北アルプス登山の基地ともなっています。

乗鞍岳

乗鞍岳

北アルプス乗鞍岳は雲上2,702mまで車で行く事の出来る、乗鞍スカイラインがあります。今は乗用車の乗り入れ出来ませんが。バスやタクシーでのドライブが楽しめます。

乗鞍岳は、3,000m級の山々が、23の峰、7つの湖、8の平原の、壮大な自然を堪能できます。 又、乗鞍岳からは槍ヶ岳、穂高連峰などが、眺められます。乗鞍岳は高山植物の宝庫でもあり、色とりどりの花や特別天然記念物のライチョウも見ることができます。

山頂方面に行かれる方は、ほおのき平スキー場駐車場または、平湯温泉のアカンダナ駐車場、より登山バス、若しくはタクシーをご利用ください。

飛騨の里

飛騨の里

飛騨地方の古い民家や合掌作りの家を一同に集めて、昔の飛騨地方の暮らしを再現しています。
市街地からバスで10分、駐車場も完備しており、施設内では飛騨の伝統芸能やイベントの実演も見られます。

飛騨の里では、一位一刀彫、飛騨の伝統的な工芸品の展示や製作実演なども見られます。 昔懐かしい農村の景色、水車小屋、軒先から眺められる北アルプス、明治浪漫の建物、そして、里山散策や古里を思わせる風景に、 感動の出会う事ができます。

また、飛騨の古い貴重な民家が移築復元されなつかしい、昔から飛騨に伝わる季節の行事を再現し未来へ伝えています。

高山祭・屋台会館

高山祭・屋台会館

日本、三大曳山祭り(ひきやままつり)・三大美祭として知られ、春と秋に行われています。
春祭は、春の訪れの遅い飛騨の雪解けを待って4月14日・15日に行われる山王神社の例祭で、秋祭は、秋の収穫を終えた10月9日・10日に行われる桜山八幡神社の例祭です。

いずれの祭りも、祭り屋台(山車)が曳き揃えられ、鐘や太鼓・獅子舞。稚児などを警護の裃姿の氏子が、旗指し物や雅楽などに囲まれたお神輿が町々を練り歩く行列も見事なものです。
屋台は、いずれの屋台(山車)も製作年代も古く、飛騨の匠の粋を集めた彫刻・彫金・漆塗り・刺繍の弾幕・見返りの絵画・唐子人形などが見事で、動く陽明門といわれています。屋台会館ではいつでも、屋台(山車)が見られます。

高山祭の屋台が美しいのは、優れた大工、塗師、彫刻師がいたことであり、他の組の屋台より美しくしようと互いに競いあったことによることと、それをなしうる経済力を持っていたことによるものです。

赤い中橋

赤い中橋

古い町並みから高山陣屋にぬける橋が、あの演歌でおなじみの赤い中橋 、昔は町の中心地にありました。
橋の中の橋というところより中橋と言われています。また、天文5年(1536年)の刻銘がある 擬宝珠を付けた欄干付きの優美な京風の橋で幕府が公費で架け替えたと言われています。

江戸時代の初期、金森氏にの高山城と下屋敷(後陣屋となる)を繋ぐ端として、もっとも重要んで中心の橋で、明治以後昭和中ごろまでは、この辺りに役所や県、事務所、裁判所、警察など主だった官庁が集まっていて、高山の中心地でした。
今も歌やドラマで紹介され、高山観光名所として旅人は、かならず訪れる橋となっています。

世界遺産白川郷

世界遺産白川郷

世界遺産・白川郷は高山市の隣の村で、高速道路も開通して、朝市から、車で25分ほどで、行けるようになりました。田や畑の中に、特異な伝統建築物合掌造り民家が並んで、景観を形成しています。白川郷は、日本有数の豪雪地帯で、かつては冬ともなれば、交通が遮断されてしまい、平家の落人が隠れ住んだという伝説があります。

白川郷とは、飛騨国、庄川流域の呼称です。白川村の荻町地区は合掌造りの集落で知られ、また五箇山と共に独特の景観をなす集落が評価され、合掌造り集落として、ユネスコの世界遺産に登録されています。
合掌造り家屋は、江戸中期から昭和初期にかけて建てられました。しかし、昭和20年代から始まった庄川流域の電源開発によるダム建設により集落が水没するなどして減少していきました。更に、小集落の集団離村や火災による消失もあり、合掌家屋が転売・消失してしまいました。

こうした中、昭和40年代に、保存運動が展開されました。昭和51年には、国の重要伝統的建造物保存地区に選定され、平成7年に世界遺産に登録されました。

景勝地上高地

景勝地上高地

上高地とは、飛騨山脈南部の梓川上流の景勝地で、標高約1,500m、中部山岳国立公園の一部ともなっており、国の文化財(特別名勝・特別天然記念物)に指定されています。
穂高連峰や槍ヶ岳の登山基地ともなっています。明治以前、上高地に出入りしていたのは、樹木の伐採のための、木こりがほとんどでした。明治になり、周辺で集めた牛や馬を、上高地で放牧を始まり、残雪の山々を背景にした牛や馬の放牧は、訪れる登山者に親しまれるようになりました。

大正4年6月に焼岳が大爆発を起こし、流れ出た土石流が梓川をせき止め、そこにできた池は大正池と命名され上高地の風景のひとつに加わりました。昭和2年東京と大阪の新聞社が主催した「日本八景」の渓谷の部に於いて、上高地が第一に推されました。

上高地一帯が国立公園に指定されたのを機に、河童橋までバスが運行されるようになり、誰もが気軽に行くことが出来る観光地として観光客の数が増えてきました。現在は、マイカーの通行が全面禁止となっており、奥飛騨温泉郷平湯温泉からシャトルバスを使うとトンネルを通り30分程度で行くことができます。

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